林檎物語

林檎物語 | 2021.11.29 Mon
【瀨崎農園】Issue03〜りんごの新しい活躍の場〜

食卓を彩る、りんご。ひとかじりすれば、甘酸っぱくて甘い、ジューシーなおいしさが、口いっぱいに広がります。そんな、おいしさを生み出しているのは、ほかならぬ「りんご農家さん」。そんな農家さんの思いや、農業に対する哲学に、耳を傾けてみませんか?

りんごを愛して奮闘する、りんご農家さんのインタビューをお伝えしていきます。

きっと、りんごの見え方や味わいが、昨日とは変わるはず。

今回ご紹介する農家さんは、長野県北部の山ノ内町で「瀨崎農園」を運営する瀨崎眞也(せざき・しんや)さん。農家になるまでは、京都市で主に人命を助ける救急救命士として勤務していましたが、2017年、51歳で長野県へ移住、農業大学校に通ったのち、翌年からりんご農家を始めました。

Issue03では瀬崎さんの「りんごの新しい活躍の場」に迫ります。


1年目、りんごが全滅

実は、こちらの畑は2箇所目。就農して1年目の畑は、異なる場所でした。

畑を移動した理由はりんごの病気です。収穫面積20a、収穫間近のりんご畑に、隣の畑からモモシンクイムシの幼虫が入りました。果実内部を加害する虫で、加害された場合、加工にも出せません。リンゴにとって、もっとも被害の出る害虫とも言われています。

「1年目はりんごが全滅やったんですよ。200箱分くらいありました。全て破棄せざるをえなくなったことは、新規就農者したばかりの私にとって、もうボコボコに殴られたような気持ちでした。」

さらにモモシンクイムシが入った畑は、2、3年は収穫ができないのだそう。その畑で農園を続けることは不可能でした。

「どん底の気持ち。地震で被災するのと一緒で、その立場にならないと絶対、この気持ちは分かってもらえないでしょう。」

希望を持って就農したその年に、収入や精神面で大打撃を受けた悲惨な出来事です。しかし、瀨崎さんは農家として生きることを、諦めようとは思いませんでした。

「私に諦めるという言葉はないんです。救急救命の時、心肺停止の患者さんに心臓マッサージをしながら『戻ってこい!』と叫んで命を助けるんです。私たちが諦めてはいけません。その時と同じ。絶対に諦めませんでした。」


“もったいない” から生まれた缶詰

病気になって破棄処分するりんごを見ながら、これが本当の ”もったいない” と痛感した瀨崎さん。

一方で、おいしいりんごがなったにもかかわらず、農園によっては小さいというだけで、そのまま畑の土に戻されてしまう事情も、目の当たりにしました。

“もったいない” りんごを、なんとか活用できないものかと考え始めました。病気にならなかったとしても、りんごはそのまま全てが同じ売り場に出ることはありません。大きくて綺麗なりんごは人気のため、りんごの形のままに売られていきます。しかし虫の被害を受けていなくても、定められた基準を満たしていないと判断されたりんごは、安価でジュースやジャムなどの加工に回され、そこにも入れられなければ、場合によっては廃棄処分されてしまいます。

色あせや、傷、大きさなど、自然の中で育つので、どうしても避けられない見た目の不完全さで出荷先が限られてしまうのです。

そこで、瀬崎さんの経験や思いの集大成が「りんごの缶詰」です。

「被災地で、りんごに助けられたという経験があります。天災が多い昨今、長期保存できるりんごというのは、いざという時に元気の源になると思うんです。」

避難所に置いておけば環境によってはりんごの品質が低下してしまう可能性がありますが、缶詰にすれば、その心配はありません。

「缶詰という道もあれば、”もったいない”を減らせるのではないでしょうか。小さくても、小さい傷があっても、味は同じ。フードロスと防災、そしてSDGsにもつながる話でしょう。これから、6次産業としての認定を受けることも視野に入れています。」

缶詰の加工会社と提携し、自己資金で試作品も完成しています。今後、企業や自治体と協力して、広めていきたいと考えています。

「私は、元消防の人間で、地震で被災もしているし、地震による被災地支援にも行っている。そんな経験を詰んだ農家が、自信を持って届けたい支援物資。私は、りんごの力を信じています。」

おわり

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