林檎物語

林檎物語 | 2022.01.05 Wed
【桃沢青果園】Issue01〜地域全体を産地として盛り上げる〜

食卓を彩る、りんご。ひとかじりすれば、甘酸っぱくて甘い、ジューシーなおいしさが、口いっぱいに広がります。

そんな、おいしさを生み出しているのは、ほかならぬ「りんご農家さん」。そんな農家さんの思いや、農業に対する哲学に、耳を傾けてみませんか?

りんごを愛して奮闘する、りんご農家さんのインタビューをお伝えしていきます。

きっと、りんごの見え方や味わいが、昨日とは変わるはず。

 

今回ご紹介する農家さんは、長野県南部の飯島町で「桃沢青果園」を運営する馬目葉二(まのめ ようじ)さん。桃沢青果園は1926(大正15)年から果樹栽培を行い、長野県で梨栽培を普及させた農園として知られています。1969(昭和44)年には平成天皇皇后陛下のご来訪を受けたこともある歴史のある農園です。

 

「地域全体を産地として盛り上げること、そして新規就農者への支援は私の役割。」と使命感を持って畑と地域に向き合います。

 

Issue01では馬目さんの「農家になる決意」に迫ります。

 

梨栽培を地域に広めた農園

梨とりんご、合計1haほどの畑が広がる「桃沢青果園」。馬目さんが、奥様の実家である桃沢青果園の、3代目として就農したのは30歳の時です。もともと農家でなかった馬目さんは、そこからどっぷりと農家の生活を楽しみ、苦労しながらも21年間農業に従事してきました。

取材時、収穫していたのは飯島町のふるさと納税の返礼品にもなっている「にっこり」という梨。桃沢農園のにっこりは、スイカを思い起こさせるようなみずみずしさと、実の柔らかさが人気。リピーターになるお客さんが多いのだそう。重いものでは1kg以上にもなる大玉です。

「涼しいところに置いておけば2月まで持ちます。発酵したような臭いが出にくいのも魅力ですね。大切な人へ贈るお歳暮としても選ばれています。」

 

 

りんごは、全国的に生産量が少ない「はるか」という品種を栽培しています。皮は明るい黄色で、酸味は少なく甘みが強いのが特徴です。

「全部に袋かけをしています。りんごの肌が荒れてしまうのでね。有機栽培で直接農薬がかからないので、丸かじりでも安心して食べてくださいね。」

農園の土は肥えていて、有機質がぎゅっと土にとじ込められています。赤土で砂っぽくなく、雨が降っても肥料成分が流れず留まります。藁を畑に敷いて、みみずや微生物など生物を活かす土づくりにも力を入れています。

 

 

1926年(大正15年)、1代目となる桃沢匡勝(まさかず)さんが、農林省興津園芸試験場より帰郷したあと、長野県で梨とりんごの栽培をしたのが「桃沢青果園」の始まりです。病気に強く、生産性の高い果樹栽培方法を試行錯誤で編み出して地域に共有し、産地として成長させたのち、列車を貸切にして東京へ共同出荷を行うシステムを作りました。

「栽培を始めた当時は、農家といえば米が主流で、食べ物が足りない頃。梨を作ると言ったら笑われたこともあったようですが、信念を持って産地を作りました。1代目が植えて、もうすぐ100年になる樹が、今でもたくさん残っています。」

1941(昭和16)年には、洋梨のセニョール・デスペランを宮内省から注文を受けて納入。そのご縁から1969(昭和44)年には平成天皇皇后陛下の公式訪問を受けました。

 

縁のなかった農家への転換

馬目さんの出身は岩手県。初めに長野県を訪れたのは高校2年生の頃です。夏休みの山岳部の遠征先として、南アルプスを3日間で縦走した時、大きな龍のごとく、うねるような山岳のスケールの大きさに圧倒されました。

 

その景色が忘れられず、進学先は伊那市にある信州大学の農学部キャンパスへ。学生時代は農家になる思いは特になかったのだそう。卒業後は、燻製づくりとその販売の仕事、介護の仕事に従事しました。

 

 

「仕事は非常にやりがいのある仕事だったのですが、次第に『もっと自分自身が自分の生き方を自分で決めて、その結果を自分が受け入れる生き方ができないものなのか?』と思いました。」

 

 

次第に自営業への関心が芽生えていった馬目さん。ある時、果樹栽培をしている奥さまの実家から「果樹園をやってみないか?」と電話があったことから、畑を見に行くこととなりました。

 

「目にしたのは樹齢80年近い樹に、梨が一面に実っている力強い姿。とても感動して、自分も農家をやってみたいと思いました。」

 

 

そして2001年9月、農業の経験がなく、剪定ばさみも、のこぎりの持ち方も、農薬のことも何も知らない状態から、農家としての道を歩み始めました。

 

「大きな決断であったと今でも思います。何しろ私の両親は非農家で、故郷はいつも魚の匂いのする大きな漁港の地でした。

 

家族がいましたから、もうこれ以上転職はできないぞ、と強く思っていました。何がなんでも引きかえせない、誰かに嫌われても食らいついて付いていくんだと、強く思いました。」

Issue02に続く

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